目標値を決めることはとても大切なことです。
ただ、自分から設定した数字なら「頑張ろう!」と意欲的になれると思うのですが…。
本校の特色は何なのか。公立と同じ、進学校と同じ指標を使って目標値を決めて良いのかとても疑問に感じます。(数字を達成できなかったらダメ!という評価は…イヤだなあ)
ある中学生の保護者の方から、
「瓊浦の学校説明とパンフレットで、生徒が活き活きしている表情に好感が持てた」
「好きなことを思いっきり出来る環境が良いですね」
と、数字には表れないことで評価を頂いたことがあります。
優勝旗の数、国立大学の合格者数、出席率…。
全ては生徒個々の活動や日常の集合数であって、その事に一喜一憂するのは「教師のエゴ」であり、「一面的にしか判断できない社会の指標」に過ぎないと思います。
人生の通過点として「高校生活」があり、その価値観や態度は十人十色。
それを個性として認めてあげる寛容さや包容力が本校にはあるんだなあと、今更ながらその保護者の言葉を聞き感じました。
「we的」「me的」で生徒との接し方は変わってくると思います。
コーチングクリニック(2009.1)に、「私的成功」から「公的成功」へというコーチングの記事がありました。
「あなたが」のパラダイムの選手は
・おまえのパスが良ければ俺のシュートは入るのに
・コーチが悪いから、俺は上手くなれない
・練習環境が悪いから、チームは勝てない
と、問題の原因は全て自分の外にあると考えています。周りや環境が変わらない限り、自分は成長できないと考えるのです。
このパターン、本校入学直後の本校生や保護者の方にも、もちろん本校教師側にも多い気がします。
「わたしが」のパラダイムの選手は
・どんなパスが来ても、俺が工夫して決めればいい
・コーチに求める前に、まずは自分で出来ることを最大限努力する
・環境が悪くたって、うまくなるための工夫をする。勝つための環境をつくりだす
と、自分が影響を及ぼしうる範囲に意識を向けています。まずは依存状態から自立状態へ成長することがスポーツ選手としても、社会人としても成功の第一歩となるのです。
言われなくても行動が出来る選手・生徒のパターンで、ベスト記録を更新し続ける上級生ほど、このパターンが多いですね。自主練や練習日誌を続ける選手ほど、この傾向が強い気がします。
「わたしたちが」のパラダイムの選手は
・私たちがシュートを決める
・私たちのミスだから、みんなで協力して取り返す
・私たちが良い練習をする。私たちが良い環境を作り出す
と、組織(学校・チーム)全体で目標に向かうことが出来るようになります。
キャプテンを任される選手はこの気持ちが強いですが、なかなか全体の意思統一させるのが難しいですね。なぜなら1年生の中には「あなたが」の選手もまだまだ存在しますし、ようやく「わたしが」に変化した2・3年生もいますし。
「目的をしっかりともつこと、大事なことを優先できること」などを身につけていく空間が、瓊浦高校であり、瓊浦高校のクラブ活動でありたいし、それは数字では表すことが出来ないのではないのでしょうかね。