『親鸞』が60万部を突破したそうです。
早く手に入れなきゃと思っていたのですが、このままだといつものようにブックオフで購入することになるのかも…。いかんいかん^^;
『人間の関係』(五木寛之)に、「夫婦は恋愛より友情」という章があります。
他人をまじえないでふたりでたくさん長い時間話ができる、いつまで話しても話が尽きない。一晩中話してもおもしろい。それが本当の意味での「相性」というものなのでしょう…
…「夫婦」というものを考えてみると、そこには意見の相違や、あるいは感情のすれちがいといったさまざまな問題があります。
そのなかで、三十年、五十年、時には七十年というふうにともに生きてきた人間をつないでいくもの、その絆は何だろうと考えてみますと、必ずしも男と女の愛情というものだけではなさそうな気がするのです…
…仏教ではときに「愛」についてこう教えています。
「愛から生まれるもの、それは執着(しゅうじゃく)である」
執着や欲望は、煩悩として人の心を苦しめます。独占欲も生まれてくる、嫉妬心も生まれてくる。それは人間的といえば人間的なのですが、その苦しみから人間はぬけださなくてはならない。
穏やかで、透明で、永続的で、覚悟のさだまった人間関係というものを、仏教の考え方は暗示しているとおもうのです。
どれだけ早く、結婚前の恋愛感情から、お互いを理解し、尊重できるヒューマンな友情に切り替え、成長していくことができるか。夫婦の関係とは、この点につきそうな気がしてなりません。
相手に対して、理解にもとづく静かな愛情が生まれたとき、それは永続的なものとなる。そして、人生のパートナーとしての相手が、そこに見いだされた瞬間でもあるのです。
絆を確認するためには他愛もない「思い出」を語り合うことが大切かと。同じ時を過ごしてきた同志としての確認作業が、明日はどうなるかわからない不安と向き合うためにも必要なことなんだと思います。
大学病院の病室で、父と母は思い出話をしているんだろうなあと、互いに過ごしてきた夫婦の時間を、息子ながらにうらやましく思います。病気になったことは「陰」かもしれませんが、夫婦の間に流れるゆったりとした時間は「陽」なんだろうなあ…。